天才⁉︎錦織圭選手の生い立ちやエピソード!努力で天才になれる!?

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復調ぶりが伝えられている錦織圭選手。今年の活躍に注目が集まっています。錦織圭選手は、どんな生い立ちなのでしょうか?天才ぶりがうかがえるエピソードを集めてみました。

小学生の頃からボールコントロールとゲームセンスを兼ね備えていた

錦織圭選手がテニスを始めたのは、小学1年生の時でした。母・恵理さんの同級生である柏井正樹氏が所属するグリーンテニススクールに入会します。錦織圭選手は、どんなボールでも当てて返してきました。ボールコントロールの技術に長けており、「もっと高い弾道で」「もっと緩いボールを」「もっと回転をかけて」といったリクエストに、錦織圭選手はすぐに応えたと言います。

また、錦織圭選手は、ゲームセンスも優れていました。柏井正樹氏は、当時の錦織圭選手を振り返って、「クロスを続けたら次はストレートで打つ、とかいう話にすごく関心を示す子だった」と語っています。ボールコントロールとゲームセンスの二つを兼ね備えた選手に出会ったのは、柏井正樹氏にとっても初めてでした。

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全国小学生テニス選手権大会のタイトルを獲得!中学2年生の夏に渡米する

小学6年生の時、錦織圭選手は、念願だった全国小学生テニス選手権大会のタイトルを獲得します。オールストレート勝ちでした。柏井正樹氏は、その時の天才的な戦いぶりを次のように語っています。

「ストロークが得意な選手に対してはストロークで、ハードヒッターに対しては強打で応じて、ポイントを取っちゃう。そうすると相手は違う戦い方をせざるを得ない。でも慣れていないので自滅してくれる。」

2003年の夏、開星中学2年生になった錦織圭選手は、アメリカに渡りました。盛田正明氏が始めたテニスの奨学金制度「盛田正明テニス・ファンド」の援助を受け、米フロリダ州にあるIMGアカデミーのテニス部門に入るためでした。当時の錦織圭選手は、「目立たない存在だった」と言います。

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IMGアカデミーに入っても残るのは難しい!最後まで残ったのは錦織圭だけだった

「IMGに送れば、誰でも一流選手にしてくれるというわけではない」と、盛田正明氏は語ります。アメリカに送られた子供たちは、新学期が始まる9月に、翌年5月までにクリアすべき厳しい課題が与えられます。例えば、国際テニス連盟のジュニアランキングで300位の選手には、「150位以内に入れ」という具合です。

この課題がクリアできなければ、日本に返されてしまいます。錦織圭選手が渡米した年には、合計3名が送られましたが、最後まで残ったのは、錦織圭選手だけでした。10代半ばにして「もう夢を諦めた方がいい」と、失格の宣告をされてしまう子供たちは少なくありません。

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今回のまとめ

天才的なプレーで高く評価されている錦織圭選手。小学生の頃から、ボールコントロールとゲームセンスを兼ね備えていました。小学6年生の時に全国小学生テニス選手権大会のタイトルを獲得します。中学2年生の夏に、IMGアカデミーのテニス部門に入ります。そこで、厳しい課題をクリアして、最後まで残りました。

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